受験者急増

~ブランド・リヴィタル・プロジェクト~

東京都中央区 千疋屋総本店

千疋屋は創業以来、東京は日本橋という日本を代表する商業地において家業を営んできた。創業は天保5年、武蔵国千疋村(現在の埼玉県越谷市)で、槍術道場を開いていた弁蔵氏が近くの果物や野菜を船で運び、日本橋の葦屋町で開いた露店商が発祥である。

二代目は高級路線に転換し、三代目は経営の近代化を図り、果物食堂を開設した。四代目は品質改良に心血を注ぎ、五代目は輸入果物の品質の向上と店舗展開を行った。六代目は21世紀に相応しい全面的な見直しを行い、ブランド・リヴィタル・プロジェクトを始動した。代々、現在の経営に必要な先見性やスピード、決断力は実績が示している。また、それぞれの代、それぞれの使命の下、「信頼」の上に千疋屋を引き継いできた。それとは別に、代々厳然と引き継がれている共通認識としての哲学がある。それは「もっともおいしい状態の果物をお客様に召し上がっていただく姿勢」である。

日本橋総本店のレストランは混んでいた。名前を呼ばれ席につく。「お決まりですか」と聞かれた。案内係は忙しくしている。すると、レジ係りが間をおいて、同じ質問をした。そして用件を処理し、すぐ持ち場に復した。また服装は清潔で清楚。建物やインテリアとマッチした店内の雰囲気は落ち着いていて伝統を感じさせる。ここは「千疋屋」。安心しきった様子で顧客は話題にも尽きぬようで、歓談が延々と続き、計り知れない至福の顧客満足を提供していた。

ブランド・リヴィタル・プロジェクト

社員教育については、最高のサービスを目指し、千疋屋ではOJTを一番重要視した。商品として、果物の味が分からないことには、自信を持ってお客様にお薦めできないので、1)果物の試食は社員に繰り返し行った。2)糖度の確認を基本とし、当店の規定を守った。3)コク、食感といった千疋屋の味を徹底的に教えた。4)「果物の目利き」を育てるための教育をした。
目利きになるためには、経験が必要。果物には旬があり、それは1年のうち1、2か月だ。旬の最高の味を覚えるには、最低10年かかる。60歳定年でも、本人が希望すれば「シニアコンシェルジェ」としていつまでも働くことができる制度を設けた。ベテランが持つ知識と経験が最高のサービスと考えたからだ。
代々、厳然と引き継がれている共通認識としての哲学(スローガン)と千疋屋で一番重要視したOJTとの関係について、六代目・大島博氏は社内の人材育成の仕組みを一つひとつ見直していった。その結果、意識改革や制度改革、社員教育(OJT)に実績があがった。
販売士資格制度については、総務・人事部から「3級販売士検定試験のお知らせ」のチラシを配布し受験を呼びかけている。受験熱は旺盛である。

会社概要

本社所在地 東京都中央区日本橋室町2-1-2
代表者 大島 博
従業員数 202名
売上高 39億円
資本金 3,250万円
設立 1938年(昭和13年)