あと一歩を探して
長野市 鰹節店 石坂 晶子(28歳)

 私にとって、『自営業』というのは想像も出来ない世界だった。しかし、『鰹節屋十代目』に嫁いだ瞬間、いきなり若女将となってしまったのだ。人生最大の転機である。
 若女将と言うと偉そうだが、何も知らないのだから、まずは見習いである。何もかも基本から学び、一年経って何とか一人分の戦力として認めてもらえるようになった時、ようやく周りを見渡す余裕が出てきた。そんな時である。表通りを観察してみると、
 「あ、鰹節だ」
 と店の外で話ながら通り過ぎる人がとても多いことに気が付いた。
 『鰹節』に興味を示されるのだが、しかし、戸を開けて中に入って来られる方は少ない。
何故? 店のガラス戸を開けるに至る、あと一歩は何だろう? 私は、少し考えてみることにした。
 もし、私が一般人としてこの店の前を通った場合……ああ、確かに、
 「あ、鰹節だ」
 で通り過ぎるかもしれない。見慣れない品。閉じられたガラス戸。きっと高価なもので、店の中に入ったが最後、買わないと出られない雰囲気かもしれない。普通はそう思うな、と気が付いた。常連さんはともかく、少し興味があるんだけど、というような一見さんは絶対に入りにくいはずだ。
 という訳で、商品の値段が分かるよう、表を外から見える位置に貼ってみた。そして 『節』だけでなく、『削り節』も扱っていることを強調してみた。これもガラスの外から、
 「削る機械がないから買ってもしょうがない」
 という声が聞こえて来たからだ。その後、
 「結構安いね」
 とガラス戸を開ける人が増えたのはとても嬉しかった。だがしかし、私は、また気付いてしまった。いろんな種類の削り節の前に、固まってしまう人が多いことに……。これも考えてみれば当たり前だった。
 普通、『鰹削り』と『鰹節削り』の違いが分かるだろうか?『宗田削り』と言われて、それが何に使えばいいものか分かるだろうか?
 という訳で、商品に解説POPを付けた上で口頭でも一人一人に説明することにしてみたのだ。今までは、
 「一番良い物を下さい」
 というような言い方をされるお客さんが多かったのだが、『良い物』と言っても用途によって違う訳で……それをキチンと説明するように心がけた。
 その結果、最近、商品名を指定して買いに来て下さるお客さんが増えたような気がする。
多少は効果が上がっているのかもしれない。
 主人曰く、「生れた時からずっと店に居ると見えなくなる事柄もある」そうで、私としては、別に伝統を壊すとかではなく、常連さんのみで固められた閉じられた店よりも、沢山の方に興味を持っていただきたかったのだ。鰹節自体、使う人が減っているこの時代、このまま鰹節を『伝統文化』みたいな位置付けの、一般の人には手が届かない高級品にしたくないのだ。
 しかし、いろいろやってみても、やはり今でも、
 「あ、鰹節だ」
 で通り過ぎる人も沢山いる。そこから店の戸を開けていただける『あと一歩』を、これからも探して行きたいと思っている。